ある普通の僧侶と廃寺

笛の音はなぜ遠くまで聞こえるの

 時は平成。後ろ髪を束ねた小柄童顔ショタジジイ僧侶ゲンキは、廃寺(はいじ)と化した寺を再建すべく、その寺のある北の山を目指していた。途中、ヒッチハイクを試みたものの、顔を見られるなり「子供がひとりで遠くまで行ってはいけない」と運ちゃんたちに口々に叱られるので、あきらめて徒歩で移動していた。僧侶服を着ていなければ小学生か中学生にしか見えない彼に、大人たちは教育的指導を行うほかないのだった。

 ゲンキは徒歩の旅を満喫しつつ、いよいよ山の麓の町へと辿り着いた。ひとまず本日の宿を探すゲンキに、老婆が声をかけてきた。
「おお……、あなた様は……。随分ちっこいけれど、一応坊様でいらっしゃるか」
「安心してください。一応じゃなくて、ちゃんと俺は坊主ですよ、おばあさん」
 そう答える声は、変声期が全く仕事してない高いショタボイスであった。
「ありがたやありがたや……南無南無……。坊様、お願ぇしますだ。山に棲んでいる凶悪妖怪陰陽師おんみょうじを退治してくだせえ」
 老婆は一通り拝むと、そう懇願した。
「凶悪妖怪陰陽師……?」
 ゲンキは老婆が言ったことを繰り返した。一体、妖怪なのか陰陽師なのか、いまいちハッキリしない謎のボスの名に困惑したのである。
「妖怪陰陽師は夜な夜な町へ下りてきて、人や家畜を襲うのですじゃ。昨日も十三人が病院送りになったそうですじゃ……」

 ゲンキは首をかしげる。
 今時陰陽師っているのかな。それが最初の疑問だった。けれど、妖怪の陰陽師だったら千年くらい生きているのかもしれない。
 妖怪とはいえ、陰陽師と言えばかつては官職、すなわち、世のため人のため尽力する人達である。そんな人が人々を困らせたらダメだ。
「わかりました。ちょうど山に行く用事もありますし、妖怪陰陽師を見つけ出して懲らしめてやりますよ」
 ゲンキがそう言って拳をぐっとすると、老婆は歓喜し、再び拝みだした。

 明くる日、ゲンキが山に入ると、妖怪達が行く手を阻んだ。しかし、いずれも錫杖しゃくじょうでポカポカ叩くと、すぐさま退散した。
 どんどん進む。草木を掻き分け、歩く。
 山をぐるっと一周してみたが、出てくるのは妖怪ばかりで、陰陽師は見当たらない。さすがに日が暮れてきた。
 その時、草の茂みがガサガサと音を立てて動いた。また妖怪かと思い、ゲンキは身構えたが、
「あっ、タヌキ!」
 ひょこっと草むらからくまのあるモコモコが顔を出した。
「うわぁ、かわいいなあ。こっちおいでー」
 ゲンキは持っていた錫杖を首で支え、両手を叩いてタヌキを呼ぶ。しかし、タヌキは逃げ去ってしまう。
「どこ行くんだよ!少しモフらせてくれよ!」
 そう叫びながら、ゲンキは後を追う。

 辺りはすっかり日が落ちてしまった。
「まずいな……」
 タヌキを見失ったことがではない。タヌキを追うのに夢中になりすぎて、自分のいる場所がどこかわからなくなったことがである。夜の山を歩き回ることはそれだけでも危険が伴うが、更に悪いことに今宵は新月。足元の草一本すら見えない、本物の暗闇である。
 こんな山奥では携帯電話も圏外。画面の明かりも足下までは照らせない。僧侶が山で遭難とか本当に洒落にならない。数百年後くらいに遺体が発掘され、即身仏そくしんぶつと勘違いされて麓の人々にあがめ奉られる様を想像し青ざめる。すみません、ただの遭難僧侶です。大した法力など持ち合わせてはおらず、せいぜい、動物と会話ができて、雑魚妖怪をちょっと祓える程度の普通僧侶ゲンキくんです。

「ま、ごちゃごちゃ悩んでも仕方がないか……」
 木にもたれて座り込む。下手に動き回るより、ここで朝を待った方が無難と判断する。
 上を見上げれば、木々の間から星空が見える。星の多くは恒星という、太陽のように自ら光を放つものらしい。新月の夜は特に、その存在を主張しているように感じる。暗闇の中で一生懸命に光って、自分はここにいるよと言っているようだ。それが今の自分の状況と似通っていて、
「知ってる」
 そう言って、ゲンキは微かに笑った。星明かりでは誰の足下も照らせはしないが、それでも君は光ることをやめない。その潔さたるや賞賛に値す。天晴れ!

 ゲンキは目を瞑る。体力の消耗を極力抑えるため、動かずじっとする。雪山ではないから、低体温で死ぬことはないだろう。そのままウトウトと、意識が落ち始める。

 ――。

 どれくらい時間が経っただろうか。
 遠くで微かに鼓を打つような音が聞こえ、ゲンキは目を覚ます。夢の中の音かとも思ったが、確かにそれは現実に聞こえる音だった。
 耳を澄ます。鼓に混じり、篠笛か龍笛のような音色も聞こえる。どこか祭囃子のようでもあるが、雅楽のようでもある。ともかく、近くに人がいるのかもしれない。
 ゲンキは、音のする方へ、手探りでゆっくり進んでいく。途中から、チカチカと灯りが見えるようになる。やはり誰かいるのか。とはいえ、慌てて駆け寄って崖から足を踏み外してインスタント即身仏になっては困るから、焦る気持ちを押し殺してゆっくり進む。

 ――それは、不思議な光景だった。
 たくさんのタヌキがぐるっと輪になり、腹太鼓を叩いている。その輪の中心に少女が佇み、横笛を吹いている。
 木の陰に隠れ、しばらく様子をうかがい、声をかけるタイミングを見計らっていたゲンキだったが、この暗闇の中である。足元の木の枝をバキンッ!と派手に鳴らしまった。タヌキ達と少女は演奏をやめ、一斉にこちらを向く。
「あ、えーっと……、こんばんは……」
 ばつの悪そうにゲンキは挨拶する。が、明らかに警戒されていることがわかる。
 少女は、タヌキ達を守るように前へ出る。そして、
「何者……!」
 そう問う少女の目は明らかに敵意を宿している。
「怪しい者じゃないよ。俺は普通の僧侶ゲンキ。廃寺になってるこの山の阿辺零寺あべれいじって寺を再建しに来たんだよ」
 少女は眉を寄せる。
「あなた、お坊さん?まだ子供じゃない。信用できないわ」
「いやいや、一般的な成人男性よりはちっちゃいけど、本当に大人のお坊さんだって」
 ゲンキは、精一杯の菩薩スマイルをしたつもりだったが、相変わらず少女は睨み付けてくる。少女は一通り睨み付けた後、少し気持ちを落ち着かせるためか、背を向ける。その間、小声で「りんっ、ぴょうっ、とうっ、しゃ……」と聞こえたのは気のせいだろうか。もう一度振り向くなり、どこからか取り出したフラスコの栓を抜く。中から妖怪……いや、これは式神だろうか。
「……」
「この子が見えるんだ。どうやらお坊さんっていうのは本当みたいね。他にも山の中に放しておいた子達がいたけど、あなたがやっつけちゃったの?」
 ゲンキが山に入ってから行く手を阻んだあの妖怪達は、彼女の式神だったというわけか。
「君は一体……」
 なんとなく察しはつく。けれど、聞く。
「私は陰陽師ユメ。この山と、お友達を守っているの」
「陰陽師……」
 ゲンキは、改めて少女の姿をよく見る。陰陽を思わせる白と黒のツートンカラーに、どーまん☆せーまんな文様、そして、所々にあしらわれたフリル……。なんだか、魔法少女のコスプレのようにも見えるが……。
「……君が麓の人々を襲って困らせている妖怪陰陽師なのか?」
「……ッ!」
 ユメは言葉を詰まらせる。図星か。
「どうしてそんなことするんだ?」
 べつに責めているつもりはない。まずは、事情を訊きたかったのだが……。
「う……うるさいな!刺客しかくにそんなこと言ったって仕方ないじゃない!」
「刺客?」
葦原あしはら教授が仕向けて来たんでしょ!私を連れ戻すために!」
「葦原教授?」
 いきなり知らない教授の名が飛び出した。
「とぼけないでよ!あの包帯巻いた教授のことよ!あるいは、あなたは何も知らずに雇われたのかもしれないけど……」
 いや、そもそも葦原教授なる人物すら知らないんだけど……。
 うん、これは困った。彼女は完全にこちらを敵と認識している。これでは聞く耳を持つまい。なんとか落ち着いてもらわないと。武士なら今にも斬りかかってきそうな殺気である。
「お坊さん、あなたにはなんの恨みもないけど、二度とここには来られないように、骨を二、三本折らせてもらいます!」
 そう言って、ユメは先ほど出した式神を嗾けてきた。それにしても、サラッと凶悪なことを言う陰陽師である。更にはこの式神の攻撃も凶悪で、奴の殴った場所の地面が大きくえぐれた。こんなのまともに食らったら、骨二、三本では済まされまい。
 山の中を警備していた式神とはわけが違う。この凶悪式神には錫杖ポカポカも猫じゃらしでペシペシやられた程度に過ぎない。
 式神の撃退法には呪詛じゅそ返しが有効だけど、それでは術者にもダメージが行ってしまう。できるだけ穏便に済ませたい。
 要するに、この凶悪式神を無力化出来ればいい。錫杖ポカポカが猫じゃらしペシペシであっても、目や耳や鼻をペシペシされたらうざいことこの上ないように、弱点を突けばいいのだ。
 ゲンキは、跳び上がり、回転力をつけながら、式神の触覚らしき部分を思い切りぶん殴った。完全に勘だったが、思った通り、そこが弱点だった。式神はひとしきり身悶えし、姿を消した。

「……っ」
 ユメは言葉を失っていた。敗北はただ、勝者の思うがままにされることとわかっていたからだ。しかしそれでも守るべきものをすんなり差し出すほどの潔さも持ち合わせてはいない。弱き者は悲しきかな、命がつきるまで抗うしかない。
「もう一度言う。どうして人々を襲うんだ?」
 ゲンキが一歩近付く。ユメはビクッとし、後ずさりしかけるが踏みとどまる。
「……言ったって意味がないってさっき言ったでしょ。どうせ私はこの世に存在すらしていないんだから……」
「……どういうことだ?」
 この世に存在していない?幽霊なのか?ならむしろ坊主が必要だと思うが……。
「もう大人しく山から出てってよ!出て行かないんなら、いっそのこと骨になってずっと山に埋まってよ!」
 物騒な話だが、刺し違えるつもりらしい。死に物狂いで抵抗されれば、いくら何でも無事では済まされない。
「なんでそこまで……」
 ユメは答えない。ただ、先ほどから首を掻いている。追い詰められるとそうする癖があるのだろう。
「ああっ……、ユメちゃん、そんなに掻いちゃダメ。封印が……」
 タヌキが一匹、ユメに声をかける。ユメもハッとしたが、時既に遅し。首からチョーカーがハラリと落ちた後だった。先ほどはよく見ていなかったが、幣束型リボンとは変わったデザインである。
「ああっ……まずい……」
 タヌキのうちの誰か、おそらく先ほどと同じタヌキがそう言った。
 ユメは、地面に落ちたチョーカーを見て、ワナワナと震えた。
「ごめん……みんな、逃げて……」
 ユメがひねり出すように言うと、タヌキ達が四方八方へ散って行った。一匹を除いて。
 低いうめき声を出しているユメ。そして、人とは思えないような咆哮をする。ゲンキが瞬きする間に、ユメはすぐ目の前まで迫る。更に、牙が喉笛に迫る。とっさに錫杖で防ぎ、押し返す。
 何が起きているのかゲンキにはさっぱりだった。ユメは飢えた獣の如く、目をギラつかせ、よだれを垂らしていた。そんなによだれを垂らしては、かわいいフリルが台無しだ。けれど、こんな凶悪なフリルが街中で大暴れしていたら、そりゃあ凶悪妖怪陰陽師なんて言われてしまうなとそこは納得した。彼女がかたくなに、人を襲う理由を言いたがらなかった理由も。誰だって、自分が自分でないときがあるなんて話はしたくない。しても理解されないからだ。
 妖怪陰陽師の正体もわかったところで、さて、こいつはどうしたものか……。
 そもそも、これはどういう状態なのか。見た感じでは、いかにも犬の悪霊に憑かれてますといったところだが、今時そんなクラシックな言い方は流行らない。おそらく、精神疾患の類だろう。だとしたら、坊主なんかより精神科医の出番だ。だが、今ここには坊主とタヌキと意識のないヘタレ陰陽師しかいない。これはもはや死亡フラグか……!
「おい、坊さん!ユメちゃんを助けろ!」
 その場に残ったタヌキが叫ぶ。
「僕はバケダヌキのケンサク。そしてあれはイカレた犬の悪霊、ひと呼んで霊犬マッキー。おっと、どこかで聞いたような名前だとかツッコむのは後だ。マッキーの奴随分怒ってやがる。いつも空腹でイラついちゃいるが、演奏を途中でやめたもんだからマジギレしてるな。僕はユメちゃんが術に失敗して結界から脱走するたびに、あの猛犬を半殺しにして連れ帰っている。当然、ユメちゃん自身にも傷が残る。日が昇れば正気に戻るから、要は朝まで気絶させときゃいい。あんた結構強そうだから僕とは違って相手を半殺しにせずに制圧できるだろ」
「そういうことか」
 ゲンキは理解した。宿主の身体機能を停止させれば操縦者も好きなようには操れないということか。
 先ほどまでフリル陰陽師だったフリルワンコの背後に回り込み、首に手刀を打ち込む。フリルは為す術無く地面に倒れ込んだ。
 猛犬の唸りが消え、辺りは静かな闇に戻った。
 逃げていたタヌキ達が戻り、倒れたユメの周りに集まる。
「建物の中に運ぶか。坊さんも手伝ってくれないか」
「建物?」
「ここはなんとかっていう寺の跡地らしいんだ」
「……阿辺零寺?」
「そう、それ」
 まさかゲンキの探していた寺がここだったとは。確かに、生い茂った木々の向こうの闇の中に、人工建築物らしきものが見えた。
 ゲンキはユメをおんぶし、建物へ向かう。